自宅で主人を看取って

ゆいま~るつばさ 所長 家高澄子


私の主人は昨年の5月、主治医からあと3~4ケ月と余命宣告を受け、「最期は病院と自宅どちらにしますか」ときかれました。
主人は迷わず自宅と答えました。
私はその時覚悟はしましたが、主治医に「主人は気が弱いから、あまり単刀直入に言わないでください。
何か伝えることがあれば私に言ってほしい」と言いました。
それからは、あまり主人には話はありませんでした。
主人もいい気はしないと言っていました。

東京生まれ東京育ちの主人には田舎がありません。
私の郷里(愛媛)に行くのをいつもとても楽しみにしていました。
今回も、最後に絶対に田舎に行きたいと言って、主治医にも自分からかけあい、6月の11~14日で許しが出ました。
主治医からは、これはバクチですよと言われ、本人の病状のCDと紹介状をいただき、何かあったらすぐに病院に行ってくださいと言われました。
退院した次の日に飛行機で田舎に行き、従妹たちにも会い、今まで食べられなかった食事も、刺身、てんぷらなどおいしいおいしいと言って食べてくれました。
移動にはジャンボタクシーを2日間借り、甥の車と2台で回り、お墓参りにも行くことができました。
お墓は急な石段のため、甥がおぶって連れていき、無事お参りもできました。
体重はもう40キロになっていました。
ホテルでは、私たちの金婚式を、弟、甥たちが祝ってくれ、主人はとても喜んでいましたが、帰京して翌日入院です。
それからも入退院を繰り返し、最後に入院したのは9月9日。
その時の主治医からの説明で、1ケ月もつかどうかということでした。
9月20日に主治医から電話があり、「今なら何とか退院できるが、これを逃すと病院で亡くなることになる。亡くなる直前に連絡して来てもらっても、30分位しか会えないだろう。
それなら自宅に帰って皆に会わせてあげたらどうですか」と言われ、9月21日に自宅に連れて帰りました。

それからは、入院していた病院関連の所に在宅診療をお願いしました。
そこの在宅医療に顔なじみの看護師さんがいて、退院したその日に電話をいただき、私のこと覚えていますかと言われ、主人は大喜びでした。
その日のうちに院長がその看護師さんを連れてきて二人の写真を撮ってくださり、後日持ってきてくださいました。
今でも大切に飾ってあります。

帰って来た時は、まだ意識もしっかりしていて、ヘルパーさんにおむつ交換を1日2回お願いしていました。
便も尿も出たのがわかるので、1日15~16回のおむつ交換です。
夜間もベッドの下に布団を敷き、弟と二人で交代でみていました。
初めのころはお尻もよく上げてくれるし、右も左も向いてくれたのですが、段々と弱っていく姿を見るのがとてもつらかったです。
お風呂が大好きで、帰って来た時も自分で自宅のふろに入ると言っていましたが、それは叶いませんでした。
訪問入浴は嫌がるかと思いましたが、初めて入って「気持ちいい」と言った時の嬉しそうな顔が今でも忘れることができません。

最後の10月11日は甥の家族がずっと付き添ってくれ、主人が好きだった長渕剛とか浜田省吾の歌をスマホを耳元において聞かせてくれました。
その夜9:30頃、眠るように息を引き取りました。

私も約1ケ月会社をお休みさせていただき、会社のみんなに迷惑をかけましたが、みんな何も言わず協力してくれました。
自宅で看取りができたのも、協力してくださる人がいたからこそ、みんなの協力があったからこそできたことと思いました。
心から感謝いたします。

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