振り返れば20年

ヘルパーステーションもやい・綾瀬 サービス提供責任者 村井江実子


私は学生時代に保育の資格を取り、実家のあった大田区の保育園で働いていました。
結婚して葛飾に引っ越し、子供ができて仕事を辞めましたが、そのうち子供の手が離れ、近所の保育園の臨時採用のパートを始めました。
もっと長い時間働けるかもしれないと思い、正社員で働けるところを探しましたが、どこも若い人の求人ばかりでした。
そんな時、ハローワークで40歳以上という募集があり、係の人は「経営者は女性ですね」と教えてくれました。
仕事内容にベビーシッター業務もあったので、私の資格も使えるかなと思い応募しました。
介護保険が始まる前の年の暮れでした。

ゆいま~るに入社すると、はじめは家政婦紹介所の仕事をしました。
当時会社は、今の介護用品の店とうどん屋さんの間の細い路地を入った奥の一軒家でした。
玄関を入って突き当たりの、お風呂場と台所の間のスペースに机を2つ並べて、家政婦さんとお客様の間の連絡をしていました。
隣の畳の部屋は確か二間続いていて、大きなテーブルにお菓子が置いてあり、家庭的な雰囲気でした。
2階はケアマネさんの部屋でした。
私もヘルパー資格を取らせてもらい、2年後には今のゆいま~るビルに移り、ヘルパーステーションゆいま~るでヘルパー派遣の仕事をするようになりました。
ヘルパーの実務経験が少ない私は、機会があればベテランのヘルパーさんについて行き、そのたびにてきぱきと掃除や洗濯をしたり、冷蔵庫の中の残った食材をアレンジしてパパッと一品作ったり、声かけしながら手早くオムツ交換をしているヘルパーさんを見て、すごいなーと感心していました。

平成20年、つばさの事業所の立ち上げに伴い、私が足立STの管理者になりました。
管理者なんて絶対に無理!と思っていましたが、まわりのスタッフに助けてもらい、何よりも大変な仕事でも気持ちよく受けてくれるヘルパーさん達のおかげで、何とかやってこられました。

ゆいま~るでは、区の緊急時派遣という、身元不明で警察署で保護されている方の付き添いや見守りなどの仕事もやっていました。
ある日区の担当者から、「今〇〇にいる方を病院に受診させて、〇〇包括まで送り届けてほしい」という依頼が来ました。
私はその日予定のサービスが入っていてそこには行けず、他のヘルパーさん達も空いている人がいなくてどうしようと思っていたところ、ちょうどサービスが終わって家に帰る前に会社に立ち寄ったヘルパーさんが話しを聞いていて、「人がいないのなら、私が行きましょうか」と受けてくれました。
家とは真逆の方向なのに、行ったこともない場所、会ったこともない人なのに、説明を聞いてすぐに出発してくれました。
数時間後、「無事に送り届けました」と電話が入り、大まかな経過も教えてくれました。
本当にありがたかったです。

その後は本社とつばきでケアマネの仕事をし、その機会に苗字を旧姓に戻し、葛飾STで訪問介護に戻り、今はもやい綾瀬で働いていています。
こうして元気に仕事が続けられるのも、健康な体があってこそのことです。
ヘルパーのみなさんも、怪我などしないよう、健康第一、安全第一でお仕事に取りくんでいただきたいと思います。

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