母との将来を想う

ヘルパーステーションもやい 管理責任者 伊東美輪

やっと秋が来たかと思っていたら、もうおせちの予約が始まっています。
本当に四季の実感がないまま、毎日仕事に追われています。

この仕事を始めたきっかけは、難病だったお義母さんを介護しているヘルパーさんの影響でした。
まず2級をとり、ヘルパー登録をして、車いすの押し方、おむつ交換の仕方を覚え、自分の義母と車いすで出かけたりしましたが、いざ寝たきりになった時は、介護する間もなく亡くなってしまいました。
父がガンと分かった時も、遠方だったこともあり、母が介護し最後は病院で亡くなりました。
義父の病気が急変した時も、退院したら家で介護を引き受ける覚悟で準備していましたが、そのまま家に帰ることはありませんでした。
最愛の夫にも何もしてあげられず、私はなんのためにこの仕事をしているのだろうと思いました。
せめて今遠方にいる母は、最期まで自分が看てあげたい。
そんな思いで母に東京に来てもらおうと話をしました。

何度言っても拒否していた母も、高齢になって心細いのか少し心が傾いてきました。
東京に来る前に家の売却を考え、お墓のこともお寺と相談してほしいなど、いろいろと話をして、今年の夏帰省した時に話を詰めようかと思っていました。
ところがいざ帰省をして、背中を丸めながら一人で家を守り、畑で野菜を作り、近所の人と世間話をしている母の様子を見た時、「今母を東京に連れてきていいんだろうか」、「母は本当にそれを望んでいるのだろうか」、「仕方なく東京に来ようとしているのではないか」と強く心が揺らぎました。
そして、「東京のマンションで暮らすことが母にとって幸せなんだろうか」、「私がすべきことは、母の望む生活とは何かを一緒に考えることなんじゃないか」、「私は今そういう仕事をしているはず、それなのに家を売る話とか墓じまいの話とか、ずいぶんと身勝手で無神経な話をしてしまったんだな」、「福祉に携わる者として失格だな」と反省させられました。
この仕事をしていたからこそできることは、車いすを押したり、おむつを交換することばかりではありません。
母が母らしく生きていく、そのために私は何ができるのかを一緒に考えていくこと。
それこそが、今私がこの仕事を続けている意義であり、親孝行だと思いました。

本人の心理的なニーズを詳細に評価し、適切な支援を提供していくことが、本人の自立や尊厳の保持を図ることにつながります。
まさに当社の理念そのものですね。
良い仲間がいて、良い仕事に恵まれたと思っています。
皆さん、一年でも長く一緒に働けるよう、健康に気を付けて頑張りましょう。

お知らせ一覧へ戻る