戦後70年

代表取締役 渋谷洋子

今年は終戦から70年という節目の年です。8月15日、私は母の生家である秩父で過ごしました。この家は、千住で戦災に遭い生後8ヶ月から小学校に入学する前年まで、私が幼少期を過ごした懐かしい家です。今はだれも住んでいないため、お盆の時期だけ弟と交代で一週間ほど家を開けて、迎え火を焚きご先祖様を迎えるようにしています。

戦後70年ということで、メディアでも様々な特集番組が組まれ、あの無謀な戦争にどのように突き進んでいったのか、招集されて、どのような戦地での生活を体験したのか、今だから話せるという、戦争の体験談を聞きました。また広島・長崎での被爆体験や、原爆投下直後の町並みの映像も流れ、正視できないようなつらいものもたくさんありました。300万人以上の命をうばった戦争の恐ろしさを、でもこれが70年前の現実だったのだと改めて思い、直接の語り部が少なくなっていく経過の中で、次の世代に語り継ぐ責任を感じました。

また、8月12日は日航機が御巣鷹の尾根に墜落した事故から30年。様々な検証と、総括の番組が組まれていました。多くの方が犠牲になり、残された家族の方々のお話をうかがうにつけ、年月の経過は必ずしも、悲しみをいやすことにはならないと思いました。事故の当日も私は秩父に滞在しており、近くの両神山に墜落したという報道もありました。静かな山里の上空にヘリコプターが飛びかい、事故の異様さを肌で感じておりました。また帰りの関越自動車道には遺族の方たちを乗せた黒塗りのハイヤーが並び、高坂のパーキングエリアに止まり、降りて来る方たちと視線をあわせるのも憚られるような重い空気が流れていたことを思い出します。

東日本大震災の後に、テレビでコマーシャルが自粛されていた時、流れていた金子みすずの心に響く詩です。

青いお空の底ふかく、 海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、 昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。

皆さんはどんな終戦の日を迎えましたか。

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